アラフィフ管理人のおかけんです。
ロック界の大スター、レジェンドといえば矢沢永吉さんです。
還暦もすでにすぎ67歳という年齢になられた今も背筋に寒気が走るほどの渋い歌声、荒々しくマイクスタンドを掴む姿は健在で若いファンから同年代のシニアのファンまで引き付けるそのカススマ性はロック界の「ボス」と呼ぶのにふさわしい存在です。
私が矢沢永吉さんを知ったのは、1978年に大ヒットした「時間よ止まれ」を聞いたことでした。
初めて聞いた矢沢永吉さんの歌声は、今まで聞いたことのない太くて透き通ったという表現が近いような、なんとも表現がしにくいですがとにかくものすごい衝撃を当時、小学生ながらに受けました。
それをきかっけに矢沢永吉さん、そのルーツにあたるキャロルの曲を聴きまくりました。
この頃、ロック好きの小学生というのは珍しく、同級生はアイドル好きばかりでしたが、その中で一人目立っていたのを覚えています。
ロックのメジャー化に貢献した矢沢永吉さん
矢沢さんは少年時代の経験から「BIGになる」という思いを持っておられ、中学時代にビートルズに影響を受けてロックに目覚め、さらにベンチャーズの広島公演に行ったことですっかり感化され、ロックスターになることを目指されたそうです。
そして、高校卒業と同時に広島から横浜へ行かれ、バンド活動を始めてしばらくしてあの伝説のバンド「キャロル」を結成されました。キャロル解散後、1975年にソロ活動を開始されました。
ソロ活動を始めた当初はキャロル時代と異なるバラード色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンも少なくなかったそうです。
しかし3年後には私が出会った「時間よ止まれ」の大ヒットで累計売上はミリオンセラーを記録し、オリコンチャート1位を獲得しました。
同年発表のアルバム「ゴールドラッシュ」もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムともに1位を独占して、その年の長者番付歌手部門でロックミュージシャンとして初の1位を獲得しました。
ロックミュージシャンの1位獲得はそれまでの「食べられない」というロックミュージシャン像を大胆に打ち破りました。矢沢さん自身も「ジャパニーズロックの転機だったんじゃないか」と述べられています。
1978年8月28日には後楽園球場コンサートでロック単独公演で5万人を集めたことで、この日、ロックはついにメジャーになったとも評されました。このコンサートは、日本のミュージシャンによるスタジアム・コンサートの先駆けとなりました。
これにより、矢沢永吉さんの名前は全国に広がりジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世界にまで広げることになりました。
ビジネスロックの先駆者でもある
矢沢さんのミュージシャンとしての独創性は、音楽の内容だけにとどまりませんでした。
自らの思い描く音楽活動を実現させるために著作権などの権利の分野でもその主導権を握る手法を発揮されました。
音楽の著作権は通常、レコード会社から音楽出版社に委託されますが矢沢さんは自らの音楽出版社を設立し、レコードやCDの売上にともなって支払われる著作権のあり方に問題を投げかけ変化を起こしました。
出版権だけでなく、肖像権の問題もいち早く提起され、グッズ販売なども自らの手でコントロールされました。
現在、音楽活動だけにとどまらず、それをビジネスとしているミュージシャンは大勢おられますが、まだ「稼げない」と言われていた時代にそのビジネスモデルを構築した先駆者は矢沢永吉さんです。
スケールが大きいエピソード「20mの移動を高級車で」
このように日本のロックシーンを大きく変えた矢沢永吉さんですが、本来の「BIGになる」という思いからのスケールの大きなエピソードがあります。
そのうちの一つが、2016年9月に開催された野外フェスティバルでの出来事です。
特設ステージということもあり、出演者やスタッフしか入れない場所に、飲食スペースや休憩ゾーンのあるいわゆる楽屋 棟が作られました。
そこは知人や家族を招き入れたアーティスト達で賑わっていました。そこへ矢沢さんが現れた瞬間、その場の空気に緊張が走りました。
もちろん、ロック界のレジェンドが現れれたのですから、他のミュージシャンの方も緊張されるのは当たり前です。
矢沢さんは、楽屋棟の真横に街中では見かけることのない高級車で乗り付けられ、出番の数十分前に楽屋へ入っていかれました。
そして、いよいよステージに向かう時です。楽屋棟からステージまでは約20m、そこへ向かうのに再び高級車に乗り込みステージまで移動されたのです。
それを目の当たりにしたミュージシャン、スタッフ、居合わせた記者などは、そのビッグぶりに顔を見合わせるほどだったそうです。
そして、その輝きを万人に知らしめるパフォーマンスを約30分行った後、ステージから降りて汗も拭かず、さっそうと高級車に乗り、他のミュージシャンが深々と礼をする中、会場を去って行かれたそうです。
そのエピソードを聞いた一般会社員の私は、そのビッグさ、スケールの大きさにはあっけに取られるばかりです。
以前、矢沢永吉さんが雑誌のインタビューで、「子供の頃からの夢は数十メートル離れた自動販売機にキャデラックに乗って行くこと」と言われていました。
まさしく、その夢を叶えられているんですね。
初めてその歌声を聞いてから約40年が経ちますが、未だその声は衰えていません。
子供の頃からのファンの私もアラフィフとなってしまいましたが、まだまだ現役でパワーを与え続けていただいています。