春も近くに感じるような陽気な時期も増えてきました。
しかし、まだまだ朝晩の冷え込みは厳しく、出勤しようと朝、車に乗るとウィンドウが凍っていることもしばしばあります。
昼間はポカポカしているのに、朝晩は真冬のように冷え込むこの時期。体調を崩しやすい時ですね。
なんとなくだるいという身体的な不調も起こりやすいですし、心の病気も不安定になりがちです。
そんな心の病気であるパニック障害を抱えているアラフィフ管理人のおかけんです。
この時期、パニック障害の特徴である不安神経症が強くなったりめまいがしたりと症状が心身的な不調にもなりやすいこともあります。
長年、患っているパニック障害の症状をどのように克服し、現在どのようにしてうまくパニック障害と付き合っているか、私の体験談をご紹介します。
パニック障害を発症したときのこと
今から19年前の30歳のときです。
年末年始の会社の休暇中に体調の不調を感じました。
そして、休暇明けに出勤したところ、突然、激しいめまい、動悸、吐き気に呼吸困難、ものすごく早い心臓の鼓動に突然襲われました。
そのときは「これは死んでしまうんじゃないか」と思い、あわてて病院に行ったのですが、原因がわかりませんでした。
そして、その発作が慢性化して何十回と繰り替えされ、その度に病院で診察を受けましたが、なかなか原因がわからず会社に出社できない日々が続きました。
あるときに偶然、診察を受けた病院の先生の診察によりパニック障害と診断され、カウンセリングと抗うつ剤の服用により会社に復帰することができました。
パニック障害の症状と対処法。発症してから19年間の体験談と付き合い方
今でこそ、このように書けますが、当時はすべてのものが不安で怖くて本当に苦しい状況でした。
そして、会社に復帰はできたのですが、パニック障害特有の不安神経症により、普通の行動ができなくなってしまいました。
よく耳にするような人混みに行けない。電車などの乗り物に乗れないなど。
会社では、人混みのある社員食堂には行けない。食事会にも参加できない。同僚と一緒に車に乗ることができないなど。
パニック障害の発作から不安神経症に。他人からは理解されない状態に
パニック障害を発症した原因は
原因には、神経質な性格であることや遺伝的なこともあると言われています。そして、特に強いストレスを受けたことにより発症することが多いとのことを病院で聞きました。
カウンセリング時に私生活の状況のヒアリングがありました。
まず、会社において直属の上司からパワハラを受けていました。
今でこそハラスメントというものは社会的にも大きな問題となっていますが、当時はまだ年功序列の名残も残っており、管理者から平社員が罵倒されるなど問題視されるようなことはありませんでした。
もちろん、自分にも上司からパワハラを受ける原因があったのでしょうが、心当たりは全くありませんでした。ただただ会社の上下関係にしたがって理不尽な罵倒を受けるがままでした。
もうひとつ、プライベートにおいて、ちょうど娘が生まれて数ヶ月でした。当時は両親と同居しており、娘をめぐって両親とのいざこざが毎日、何ヶ月も絶えない日々を過ごしていました。
これらのストレスが思っていたより自分にとって大きな負担となっていたようです。
そして、カウンセリングの結果、それがパニック障害の発症の原因となっていたようです。
これらのストレスを取り除かなくては自分の症状は良くならない。なんとかしなくてはと思っていたときにそのきっかけが訪れました。
あるきっかけで症状がましに
当時に最も不安だったのは、この状態で仕事が続けられるのだろうか?
もし、この状態で仕事に行けなくなったら到底転職するような気力もないし、どうなってしまうのだろうと考えてしまうことでした。
毎日、家にいるとき以外は不安、なんとかごまかしながら生きているという感じでした。
そうしているとき、仕事中に休憩していると突然、上司からいきなり罵倒されました。
会社でパワハラを受けていたのは前述していますとおりです。このような不安だらけで弱っている私ですから攻撃しやすかったのでしょう。
ところが、なぜかこの時心の中で
「もうどうでもいい!」
という気持ちが突然わきあがってきました。そして、理不尽な罵倒を突然してきた上司に対して、椅子を蹴り飛ばしました。
いや~、その時はここぞとばかりに更に上長まで呼び出してえらい怒られましたが、何かが吹っ切れると同時に常に不安だった状態が少しましになりました。
その勢いで今度は、もうひとつのストレスの原因となっている両親とのいざこざを解決することとしました。
今までの経緯と状態を話し、改めるように要求しました。それでも、両親は折れることをしようとしませんでしたので、
「家を出て行く」
と宣言しました。結局は事情があって二世帯住宅に家を改築することとなったのですが、宣言から2週間後には着工していました。
これらの行動が良いことなのか悪いことなのか親不孝なのかは分かりませんが、どちらも常に不安な状態をましにしてくれるものとなりました。
この時に気付いたのが、この病気のおかげで働けなくなったらどうしようという気持ちがより不安を増す原因になっていたということでした。
また、自分を生んでくれた両親は大切にしなくてはならないということを一般的には言われますが、その一般的な言葉から両親に縛られていたことも不安を生む原因となっていたようでした。
そして症状は徐々に安定
このような状態でしたから、会社ではやはり評判はあまり良くありませんでしたね。
いくらパワハラを働いていたからといっても相手は管理者ですから、私のような平社員よりそちらの方が信用もあります。
ですが、そんなことを気にしないで、もうわが道を行くという信念でつき進んでいました。
理不尽な罵倒は相変わらず受けていましたが、もう気持ちは開き直っています。
「どうでも好きにせいや」とパワハラなどには心を傾けることすらしなくなりました。
そう思えるようになると不思議とパニック発作に対しても「死ぬわけじゃないことは分かっているんだから別に起こってもどうってことないわ」と思えるようになってきました。
行動と心というものはつながってるのですね。
この時にこのような態度で会社に行っている私のことを広い気持ちで許していてくれた妻には本当に感謝です。
家に関しても、言い出してから2週間で着工した改築ですが2ヶ月後には完成しました。
そして、その日からは両親との接触を一切、断ち切りました。
やはり一般的に「両親には感謝」と言われているので心苦しい部分がないこともありませんでしたが、自分の体を大切に、ストレスのもとを断ちきることの方が大切です。
割り切りました。
そして、このような生活を続けていくうちに運よく会社を解雇されることもなく、ストレスが大幅に軽減したのか症状は安定していきました。
数ヵ月後には抗うつ剤も必要ないのではないかと思われるくらい回復しました。
一方では、体調が良くなり食欲が増したせいか、抗うつ剤の副作用か分かりませんが、少しづつですが太っていきました。
今では、メタボ予備軍となってしまうほどです。
健康診断でメタボリックシンドローム予備軍と診断された。その後の特定保健指導の内容は
パニック障害との長い付き合い
このようにして症状は、かなり良くなりましたが、何かストレスを受けるようなことがあると発作が出たり体調がすぐれなかったりします。
ですので、発症から19年たった今でも、抗うつ剤の服用は続けています。月に1回の精神科の診察も受けています。
最初診断されたときに言われたように、すぐに治る病気ではないようです。
しかし、うまく付き合えば普通に生活できますし、支障も今のところありません。
乗れなかった乗り物も乗れますし、他人と旅行に行くこともできます。
海外出張も何回か経験しました。20時間以上、飛行に乗りっぱなしで2週間も海外にいることができるのですから、当時に比べるとものすごい進歩です。
抗うつ剤の服用を忘れることがあるくらいです。
でも、やめることはできません。
完治するまでかなり長期間かかる方もおられると聞きました、その長期間かかる方が私のようです。
最近は、うつ病などの心の病気も広く認知されるようになりました。私の会社でも年間1人くらいはうつ病で休職される方がおられます。
私がこのように心の病気になって感じること。それは不安なことを考えすぎないことです。
そうすればある程度は克服できると思います。極端には、「どうなっても、何とかなる」くらいでいいのではないでしょうか。
私のように本当に何とかなる場合もありますし、不安だけを募らせても解決はしません。それよりも不幸な結末にならないようにする方が大切です。
場合によっては人を頼りにすることも必要かもしれません。思い切って、甘えてしまえばいいと思うのです。
アラフィフ以降の年代になると心の病気にかかる確率も高くなると言われています。
そのようなときは無理をせず、大変なことは投げ出すくらいの心構えでいることをオススメします。
そして、残りの人生を思いっきり好きなことをして楽しむことだけを考えて生活していきましょう。
今の私は、いえ、パニック障害と付き合い出したころから、毎日、何をして楽しもうということで頭がいっぱいです。
ある人が、パニック障害を経験するとその後の人生が幸せになると言われていたのを聞いたことがあるのですが、本当にそのとおりだと思います。